現役大学生アーティストとして活躍が期待される映秀。さん。
「映秀。さんの父親もすごい人!」という情報があり調査しました。
実は、映秀。さんの父親は会社経営者です。
映秀。さんの父親はテレビ番組に出演したこともありますが、その理由というのが余命12ヶ月の病のことでした・・・
映秀。さんの父親は本も出版されていますので、父親からみた映秀。さんのエピソードなんかもご紹介しますね!
目次
映秀。の父親・野中秀訓の職業がすごい!
映秀。さんの父親は、野中秀訓(のなか ひでのり)さんです。
2012年にサラリーマンを辞め、東京・青山にある化粧品原料を扱う会社「アンチエイジング株式会社」を設立し、社長をしていました。
映秀。さんは、会社経営者のご子息ということだったんですね!
とはいえ、映秀。さんの父親である秀則さんは、会社の経営が軌道に乗るまでは深夜まで働いたり、休日出勤したりとがむしゃらに働いてきたそうです。
映秀。の父親・野中秀訓がテレビ出演していた経歴
映秀。さんの父親である野中秀訓さんがテレビに出演していたという情報がありました。
会社経営者としてテレビ出演したのではなく、大腸がんを患い余命12ヶ月と宣告されたことで「死を前にして人は何を思うのだろう?」というテーマで、NHKテレビ番組「オンマイウェイ」で紹介されていました。
こちらのNHKテレビ番組「オンマイウェイ」は現在ネットでも見ることが出来ます。
映秀。さんの父親・野中秀訓さん出演のNHK「オンマイウェイ」の動画をチェックする。
映秀。さんの父親・野中秀訓さん出演のNHK「オンマイウェイ」の番組あらすじをチェックする。
番組自体は小学校5~6年生・中学生を対象としているものですが、大人が見ても考えさせられる番組です。
映秀。さんが中学2年の時の映像もありますので、映秀。さんファンの方にも必見です!
映秀。さんの本名は「野中 映秀」さんなのですが、珍しい名前はお父さんから「秀」の文字を一文字もらっているのですね。
映秀。さん本人も父親である野中秀訓さんが付けてくれた名前についてツイートしています。
幼稚園生にも「えーしゅー」と覚えてもらえるこの名前大好きです。父さんありがとう。
— 映秀。 (@EISYU0317) March 10, 2020
動画では、野中秀訓さんが将来の夢について聞いていたりしますが、中学2年の映秀。さんは「悩み中かな」と答えていました。
野中秀訓さんは、「やりたいことをやって、やった結果、その仕事でいろんな人が喜んでくれるとか、それで自分も楽しかったら最高じゃん。そういうのを選んでもらいたい。」とアドバイスしていました。
お父さんの願い通り、今まさに映秀。さんはやりたい音楽の仕事をやって、いろんな人が喜んでいるという状況だと思います♪
映秀。の父親・野中秀訓の現在は?
映秀。さんの父親である野中秀訓さんは、2019年12月18日にお亡くなりになっています。
余命宣告である12ヶ月後の2015年7月に受けた検査では、がんの腫瘍が消失しているのが分かり回復に向かっているということでしたが、残念です・・・
映秀。さんが父親が亡くなったことについてツイートしています、
2019年12月18日
“当たり前”に終わりを告げられた日
父が亡くなってから一年
僕はここに在ります。「Good-bye Good-night」 https://t.co/qRPpjHcMOt
— 映秀。 (@EISYU0317) December 17, 2020
ツイートにある、「Good-bye Good-night」は、父親との突然の別れを題材にした楽曲になります。
「Good-bye Good-night」は胸に迫ってくる曲ですので、出先で聞いたら涙してしまうかもしれませんので、ご注意ください・・・
2021年1月には、映秀。さんの気になるツイートも・・・
また身近な人が届かぬ所へいってしまいました。そんな自然の摂理を笑顔で受け止めることができない僕はまだまだ人間なんだと思います。悔しい事にまた過去の幸せよりも後悔が先に出てしまいました。変えられない過去を嘆いても仕方が無い、今僕にできることを全力でしようと思います。
ありがとう。— 映秀。 (@EISYU0317) January 23, 2021
映秀。さんの身近な人がお亡くなりになってしまったのでしょうか・・・
まだまだ若い映秀。さんの身近に別れがあることが切なくなります。
父親である野中秀訓さんは本も出版されています。
2014年6月に余命1年と宣告されたものの、一度は「寛解」したがん生還者が実践した7つの習慣を紹介した本になります。
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こちらの本を読んだのですが、がんの闘病には家族の協力がいるということと、これまで以上に家族が大事に思えるということから、家族のエピソードも多く出てきます。
当時中学生だった映秀。さんについても、10個ほどエピソードがありました。
余命宣告を受けた後に息子と旅行に行こう!と思い立ち、一緒に屋久島の縄文杉を見に行ったこと、腫瘍の摘出手術の当日まで手術に立ち会いたいと涙ながらに訴えた映秀。さんへの想い、食事制限をしている父親のため、外でこっそりショートケーキを食べていた映秀。さんを近所の人が目撃した話、息子である映秀。さんの子供を見てみたいと思ったこと、せめて大学生を卒業するまで生活の心配がないようにしてやりたいなど、親としての切実な想いを感じ取ることが出来ます。
父親の野中秀訓さんはアメブロ「癌になって、止めたこと、やったこと」もやっており、「息子へ」というタイトルで2016年3月17日、14歳になった映秀。さんへのメッセージを公開しています。
リンク先は、下記に貼っておきますね。
野中秀訓さんのアメブロ「癌になって、止めたこと、やったこと」の記事「息子へ」
14歳頃の映秀。さんの写真も見ることが出来ますよ!
映秀。の父親についてのまとめ
映秀。さんの父親である野中秀訓さんは会社経営者でした。
しかし大腸がんを患い、2019年12月18日にお亡くなりになっています。
息子である映秀。さんへの想いは、出版された本やテレビ番組の動画やアメブロの記事でも見ることが出来、才能豊かな映秀。さんに影響を与えた父親の人となりを見ることが出来ました。
私は2016年に大腸癌ステージ3期aで手術を受けました。抗がん剤はしない選択をしました。体力がなくその副作用に耐えられないと考えたからです。光線治療と免疫療法をしました。後者は活性リンパ療法、樹状細胞ワクチン療法の二種類であわせて500万以上かかりました。光線治療は癌専用のカーボンを燃やして光を患部にあてますが全部で800万位かかったと思います。今、前と変わらず過ごせていますがまだまだ気を許せません。
この度は貴重な体験談をお伝えいただきまして、ありがとうございます。
同じ悩みを持っている方の参考になると思います。
今後も変わらずお過ごしになられますよう、お祈り申し上げます。